人が楽しめる番組とは

「今」を生きる私たちには、テレビやラジオは「存在して当たり前」のものです。誰もが家に備え付けていて、さまざまな情報を番組から得ているのです。

普段から当たり前のように見ているので、私たちは「この番組はこのようにして作られたのだろうな」などと考えることはあまりありません。番組は放送されていて当たり前、見ることができて当たり前の存在です。当たり前であるからこそ、それらの番組は私たちの気を引くものでなければいけません。数多く並ぶ番組のなかで、「見よう」と思わせてくれるものでなければいけないのです。

ただ、万人に受け入れられる番組というものはなかなか難しいものです。インターネットが発達し、私たちの好みが細かく細分化してしまった今では、「トレンド」という言葉ではくくれないくらいに私たちは多種多様な好みを持っています。その中でどのようなものに対して価値を見出すかということが大切です。それは「どのようなものを見てくれるか」という能動的なスタンスではなかなか見いだせないものなのかもしれません。「視聴率」を気にするあまり、視聴者のことを考えすぎるあまり番組が「どっちつかず」の中途半端なものになってしまうかもしれないからです。「メディア」として必要なことは「今の時代にはこれを見るべきだ」という確固たる「自信」です。それが視聴者に伝われば、「改めて興味を持つ」ということも起こるのです。

「見てもらう」という受け身の姿勢では、飛び抜けたものは作れないのです。それは「見せるんだ」という強固な姿勢が欠けているからです。メディアは「時代を作る」ものです。時代は人が作るのですが、その「人」を動かす力を持っているのがメディアです。ひとりでも多くの人に見てもらい、「新しい価値」を見出してもらうことができるのがメディアなのです。

そして特にテレビはインターネットとは違い、高解像度な映像と音声でより多くの情報を伝えることができます。災害や事件の現場の臨場感や、当事者たちの生の声など、同じ時代を生きる私たちが必ず知っておかなければいけないもの、必ず感じなければいけないことを、見せてくれるものなのです。インターネットがいくら普及しても、誰もがインターネットで情報を得ることができるようになっても、それらの番組が消えることはありません。

地震などの災害が起きた時には私たちはまずテレビやラジオをつけます。インターネットでは「リアルタイム」な情報が得られないからです。中継カメラを派遣するニュースサイトなどはないからです。そのようなとき、「何が本当かわからない」とき、私たちがすがる先は「放送」というメディアなのです。

番組制作に今、求められていることは「自信」を持つことだといえます。視聴者に左右されるのではなく、視聴者を導けるような番組を作ることです。私たちはワガママで残酷です。見たくないものは見ないし、必要がないと感じたものは見ないのです。そのような私たちに「価値」を感じさせるためには、「これ、見たことがないでしょう」というような新しい映像の提供や、「聞いたこともない面白いハナシ」などをまっすぐ突き刺すような姿勢です。「圧倒する」といってもいいかもしれません。これからの時代の制作マンには、「大胆な姿勢」が一番必要なのかもしれません。