自分が楽しくないと人も楽しくない

何かを作るということ、クリエイティブなことは、ある意味自分を「削る」ような行為です。何もないところからアイディアを絞り出し、人が楽しめるような「何か」を考えるということは、とても大変なことです。

クリエイターといわれるような人は、「創る」ということが仕事です。それはどのような分野であれ、それまではそこになかったものです。絵画であれ、彫刻であれ、それまではそこになかったものです。そしてそれはクリエイターが創ってはじめて、他の人が認知できる存在になります。

何かマニュアルがあって、組み立てるパーツがあって、それをただ組み上げるだけで完成するような、いわば「プラモデル」のようなクリエイティブは「本当のクリエイティブ」とはいえないものです。それは誰かがルートを定めた創作であり、完成するものも誰かが定めているものだからです。本来のクリエイティブはそのようなものではなく、自分だけが完成形を知っていて、自分だけがそれを創ることができる、あるいは自分だけでは手に余るので、完成系をみんなで共有し、ひとつの「まだないもの」を創りあげるものです。それは容易なことではありません。イメージでは「良い」と感じていても、実際に創りあげると「そうでもない」という結果になることも多々あります。実際に創ってみなければわからないことが沢山あります。

何よりも創っている最中は没頭しているものですから、それを客観的に感じることができないものです。誰かに意見を求めてみると、「全然ダメ」という返事がきたりするものです。そうすると「プロ」としてはそのままにはしておけないものですから、創り直すことになります。

番組制作ではさまざまな要素がひとつの番組に織り込まれています。それぞれの分野のスペシャリストが、自分の「創作」を持ち寄るのです。それらひとつひとつのクリエイティブが高いクオリティを持っていなければいけないものですし、それぞれが同じ目的に向かったものでなければいけません。

そしてそれらのクオリティを左右するのが、それを創っている「人」自体が楽しんでいるかどうかということです。それを創りあげる張本人が楽しんでいなければ、その結果生み出されたものは誰も楽しめないものです。作っている人が「楽しんでいない」ということは、すぐに第三者がわかってしまいます。そしてそれが伝わった瞬間に、人はその作品に対して「シラける」のです。

そのようになってしまうと、もはや人を楽しませることはできません。誰も楽しくなく、ただ時間と労力を浪費しただけの、「コストのムダ」の結晶としてのつまらない番組が成立してしまうのです。そのようなことを防ぐためには、人に楽しんでもらうためには、まずは創っている張本人が楽しむことが大切です。自分が楽しくないものを、人に「楽しんで」と見せることはできません。自分が気に入らないものを、人に「気に入って」と見せることはできないのです。「まずは自分が気に入る」ような仕事をすることが良い物を創るための秘訣でもありますし、まずは自分が自分の作品のファンになることで、人に自信を持って薦めることができるのです。

それが自分の仕事に誇りを持つということであり、作品を創りあげるということです。