テレビとラジオの逆襲

素人でも動画を撮影し、それを誰かと共有することができるようになってしまいました。それらの動画は短いながらも見る人の興味をそそる内容で、素人が考えたとは思えないようなものも沢山あります。

さらには、テレビで放送したもの、ラジオで放送したものですら、録画され、録音され、インターネット上に拡散されてしまうのです。インターネット上に拡散されてしまったそれらの情報は、誰でも閲覧することができます。それは「番組の価値」としては誇っても良い物なのかもしれませんが、残念なことにCM部分がカットされていることがほとんどであるので、スポンサーは納得しません。そしてインターネットで何回視聴されても「視聴率」には関係しません。

それらインターネットの脅威に対抗するために「メディア」としてのテレビやラジオができることがあります。それは「専門的な報道機関でなければ取材できないものがある」ということです。国会の中継もそうです。重大な事件もそうです。インターネットがいくら発達しても、私たちには「報道」する資格がないのです。「報道する立場」こそが、メディアとしてのテレビやラジオの優位性であるのです。

社会を震撼させる事件や事故、そして災害などはインターネットでリアルタイムに報道することが難しいのです。先の震災の際、テレビやラジオはずっと震災関連の報道を行いました。各企業もCMの放送を自粛しました。その時だけは、「放送メディア」は「看板」としてではなく、私たちの生活に関わる重大な情報を配信することに特化したのです。現地で何が起きているのか、私たちが自分で見に行くことができない情報を責任もって報道したのです。それが「組織」として放送を行うメディアの「強さ」です。インターネットは実は「人の集まり」で、何か組織だって行動するようなことは難しいのです。ひとつの「サイト」を運営している人間はテレビ局やラジオ局とは比べ物にならないほど少なく、そして「報道」のノウハウがないのです。

事件や災害の際、「信頼できる情報源としてのテレビやラジオ」という意味では、インターネットは永遠にその座を奪うことができないのです。社会的に信頼できるものだからこそ、そしてその場の光景をリアルタイムに配信することができるからこそ、メディアとして価値があるのです。誰かが憶測やデマを流したり、興味本位で誹謗中傷を記したりするようなモラルのないインターネットとは違い、プロとしての報道ではその時に必要な情報、正しい情報を発信することができるのです。それは私たちに「性格で安心できる情報」提供する唯一の手段です。

その現場の様子を伝える映像があり、その様子を説明するレポーターがいて、それを各地に放送できるインフラがあることで、私たちは現在進行形で「今起きていること」を知ることができるのです。それだけはインターネットでは不可能です。素人がいくら集まっても、人に「伝える」という点においては不十分でしょう。メディアであることの誇りは、そのような点です。素人がいくら集まっても実現不可能なことで、社会にとって必要なことを実践できるという点がテレビやラジオの優位性なのです。