人に何かを伝えるということ

ただタレントを並べ、ワイワイおしゃべりして成立するバラエティもあれば、自然の大切さであったり平和の大切さなどを伝えるための番組もあります。どのような番組であっても、まずは「関心を持ってもらう」ということが大切です。

人に視聴してもらわなければその番組は「存在しない」ことと同じだからです。私たちが日々暮らす中で「本当に必要なこと」というものは案外少ないものです。そして「見なければいけない番組」などは皆無に等しいのです。生きていくために必要なことは実はそんなに多くないのです。ただ、私たちは「退屈する」生き物です。何か楽しいことがなければ気が滅入ってしまうものなのです。だから何かを見たり聴いたりすることで、「心を潤す」必要があるのです。

だからテレビやラジオがあります。見たり聴いたりすることが「楽しい」と思えるような番組が揃うのです。ですが、人の数に対して「番組の数」はとても多いものです。それによって私たちは「選択」することができるのです。選択する先は「興味のある番組」となります。ただ、選択し、視聴してみて「つまらない」と感じたら視聴をやめて違う番組に移ることができます。

私たちは残酷です。地上波のテレビやラジオは「無料」であることから、「興味のないもの」は「価値がない」と考えるのです。昨今では人の興味や関心は深いところまで細分化されていますから、さらにワガママになっているといってもいいでしょう。そんな私たちに「見てもらう」ためには途方も無い工夫と努力が必要なのです。それはシナリオの面白さかもしれません。あるいはキャスティングの豪華さかもしれません。取り上げた題材のセンセーショナルさかもしれません。

どのような手段を用いたとしても、私たちにその番組を視聴してもらう必要があるのです。それが番組を制作した人間の義務です。番組自体が看板スペースであり、スポンサーはその番組に対して出資して、広告を配信します。ただ、誰にも見てもらえないとその番組の価値はなくなってしまうのです。そのためにはまずその番組が「こういうものである」ということを的確に伝える必要があります。

それは看板スペースである番組自体を宣伝することが大切ということです。そして関心を持ってもらい、期待を高め、人に見てもらえる素地を作りあげるのです。そのようにして視聴してくれる人を確保すれば、あとはその視聴者の期待を裏切らないように、あるいはその期待以上に、その番組をブラッシュアップさせていくことになります。

どれだけ尊いテーマを取り上げても、どれだけ社会的に正しいテーマを訴えても、「見てくれない」ということであれば価値はありません。それはそのテーマの「価値」のハナシではないのです。そのテーマを視聴者に伝える術が間違っているということなのです。どのようなテーマでも、番組として見応えのあるものにする責任を持つのが番組の制作者です。「つまらないテーマだから見てもらえない」ということではなく、「どのように伝えれば惹きつけることができるのか」ということなのです。

それが番組制作者の「仕事」であり、永遠に終わることがない「命題」になります。