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編集の限界

ドラマは特にそうですが、収録された番組は「編集」されています。編集とは、収録されたものをあとから加工することです。画面にテロップを表示させたり、決定的な瞬間をわかりやすく提示したりするものです。

ですが、「編集」には限界もあります。たとえば、出演している人は全員別人に仕上げることはとても難しいものです。現在ではCG加工の技術が発展していますから、それらの技術で出演している人をすべて別人にすることも不可能ではありません。ただ、すべての番組でそのようなことを行うのは大変な手間ですし、手間はコストになります。ですから「人」を修正することは通常の番組ではありません。

それは表情も同じです。出演している人が全然笑っていないということであれば、その表情は変わることなく放送されるのです。それによって得てしまう視聴者の印象は「この人は愛想が悪い」ということかもしれません。さらには出演者全員が笑っていなければ、「この番組は雰囲気が悪い」というものでしょう。シリアスな題材を取り上げている番組であればいいのですが、それが「バラエティ」であった場合、全然楽しい番組には見えないものです。

そのようにすべてが編集でどうにかなるものではないのですから、「収録」した際のクオリティは大切なものです。編集でどうにかなるのはムダな部分を省いたり、聞こえにくい音声を聴こえやすくしたりというちょっとした「補正」です。だから番組制作は専門的であり、出演者は一般人では無理なのです。私たちもカメラに映り、全国に放送されることは物理的には可能です。ですが、その際に普段見ている芸能人のように親しみを持って見てもらえるかどうかということはハナシが別です。

編集ではどうにもならない表情、そして話す内容など、番組収録は常に「クリティカル」なものが求められます。それらすべてはプロットして定められていて、台本もあるものですが、それだけでひとつの番組をこなすのは、やはり一般人では無理なのです。

だから芸能人には価値があるのです。だから番組は見る価値があるのです。だから広告費を投じる価値があるのです。「人気」は価値です。「見られる」ということも「価値」です。編集とは、それら価値があるものをくだらないことで「価値がさがらないようにする」ための手段であって、価値がないものに価値を与える魔法ではないのです。

そして生放送では編集などはできません。できるのはテロップを出したりカメラを切り替えたりすることです。それらはもはや編集ではなく「演出」です。演出することでより良く見せるための方法であり、「どうしようもないもの」はやはり「どうしようもない」のです。

私たちがテレビ番組などに価値を見出だせるのは、自分では再現できないからです。自分では簡単にそのようなものを作り出せないからです。テレビをつければそこには自分の手の届かない世界があるということ、そして自分が見たいものがそこにあること、だから価値があるのです。

その価値は編集前から実は変わるものではなくて、本質は同じなのです。それをより伝わりやすく、理解しやすくするためのものが編集です。決して価値を新しく想像するものではないのです。

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